フォトリーディングおすすめ本の紹介
「海峡を渡るバイオリン」「天上の弦」陳昌鉉著 河出書房新社
『海峡を渡るバイオリン』(陳昌鉉著)という東洋のストラディヴァリウスを作り上げたバイオリン製作者・陳昌鉉さんの感動的な自伝がある。昨年(2005年)だったと思いますが、SMAPの草薙君が演じてTVでも放映されました。また『天上の弦』として漫画化もされています。漫画でも改めて感動しました。
運命の仕事に出会った人の生き様は感動しますね。
1929年韓国慶尚北道梨川村に生まれる。日本から来た相川という先生の生き様とバイオリンに魅せられる。中学2年(14歳?)の時、日本に行けば仕事がある、ということで来日。戦中・終戦直後、働きながら明治大学英文科を卒業。戦後の時代背景もあり、在日韓国人ということもあり、『相川先生のような先生になる』という夢はおろか、思うような仕事に就けなかった。そんな中、ロケット博士の糸川英夫博士のバイオリンの技術の素晴らしさを講演で聞き、感涙し、道を定める。バイオリン奏者としての道も一時期は考えたこともあるようですが、それはさすがに無理。でもバイオリンの魅力は度し難く、糸川博士の『バイオリンの神秘』という講演で火が点く。しかし、バイオリン技師の弟子入りも思うにまかせず、独学でバイオリン製作を習得していく。
この独学習得の経緯は本当に想像を絶します。
逆にこれだけの情熱をかければできないことは本当に少ないのだろうな、と思います。
昼は飯場での肉体労働。しかも想像を絶する環境の中での重労働で生活費をやっと得る。それもまさに爪に火をともすほどの。そして夜は寝る間も惜しんでバイオリン製作。原書の解読。職人さん一人一人に聞き歩き、指導を仰ぐ。それも何回も何回も断られ続けてもまた頼む。夢の中にストラディヴァリウスが出てくることも度々。
ある時は薬品の調合を間違え、全身30%を大やけど。ある時はやっと作った最初の作品と恩師の形見の品を盗まれる。またある時は掘っ立て小屋(家兼作業所)の屋根が台風で飛ばされ、バイオリンがずぶぬれになりそうになる。故郷に遺した母親に何もしてあげられない苦しみに苛まれる。
せっかく作った売り物になると思える最初のバイオリンを9つ持って、上京するもどこの専門店も買ってくれない。委託も無理。中古屋に行っても値がついていないものは新品でも扱えない(この時点では、名前はないけれどバイオリンとしては立派なものだったにも関わらず)など、普通なら脚本としてもあまりにも波乱万丈すぎるのじゃないの?、というくらい。でもそれが実話なのです。
しかし、本当に偶然と言うか、神様は見ていたと言うか、当時のバイオリンの3巨匠の篠崎先生とつながりがある人がバイオリン商とのやりとりを見聞きしていて、橋から川を見てガクッとしている陳さんに声をかけ、篠崎邸に。そこで9つのバイオリンを全て購入してくれることから人生が転換していきます。それから子ども用のバイオリンの制作を依頼され、木曾から町田そして、調布市仙川(東京/篠崎先生の勤め先・桐朋学園がある)に出てくることができ、生活が安定してくる。
ただ、ここでも並大抵の努力ではなかったようです。手工製のバイオリンはどんなに作るのが速い職人でさえ、一週間に一挺つくるのが限度と言われる中、実に一週間に六挺、寝る間も惜しんで、何かに憑かれたかのように…。
それから芸大の受験生が無名の作者(陳さんが3,000円で作った)のバイオリンを使って入学が可能になった、ということもあって評判が広がるのです。(当時、芸大受験生くらいになるともう技術差はそれほどない。勝負を決めるのはどれだけ高音・低音の響きが良いバイオリンを持っているか、になっているとのこと。すると高価な名器(バイオリン)を持っていないと芸大入学は無理だったそうです。因みに当時の桐朋学園の学生達はみな、平均すると一挺400〜500万円。なかには2000万円や3000万円というバイオリンを持つ学生もいる、と書かれていますが、目を疑いました(望月は、、、。因みに妻はスタンウェイというピアノでは有名なメーカーのものを持っていますが、、、、桁が違うのです。あの小さな楽器が、、、)
その後、1976年「国際バイオリン・ビオラ・セロ製作者コンクール」において6部門中5部門で金メダルを獲得。全世界でわずか5人の「無監査マスターメーカー製作家」の1人となり。名実ともに日本におけるバイオリン製作の第一人者となり、今もご活躍中です。
仕事の壁にぶつかった時、あるいはやる気がなかなかでない時に、この本を読むと、「このくらいでへこたれてたまるか」と私なら思える本ですね。
フォトリーディング・インストラクター 望月俊孝
フォトリーディング集中講座では望月俊孝が直接お伝えしています
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